創作劇「ビルマの耳飾り」の紹介

平成26年3月26日(日)

利根沼田文化会館大ホールにて公演

 

当日は900人以上の方が足を運んでくださり、会場満席となりました。小さな活動をあたたかく応援くださり、本当にありがとうございました。

 

収支報告

(収入) チケット 1,650,100円 協賛金 783,000円 寄付 93,000円 募金 129,987円 その他   11,403円(台本売上、クオカ―ド、利息)

  合計 2,667,490円

(支出) 運営費 247,891円 施設費 337,400円 舞台費 396,931円

  合計 982,222円

 差引収支 1,685,268円 (2017.4.11現在)

 

2017(平成29年)4月11日、会計監査より正確かつ適切と認められました。

2017.3.26の公演後、5月17日、国際ソロプチミスト利根沼田様より協賛会30,000円もの寄付を頂き、現在1715268円となりました。

 

群馬県昭和村立南小学校様より、シャープペンを寄付頂きました。

2018.6.14

本日ミャンマーへ残金全額を送金し着工準備に取り掛かって頂きます。

集まった金額 1715268円1回目送金(2017.12.15)500000円、2回目(2018.6.14)1206614円、送金手数料計1714円、ボールペン送金・箱代 6940円、1706614円が建設費用となります。


下記の創作劇の再演になります。

なんと、偶然にも、“3月26日(日)利根沼田文化会館大ホール”が同じです。強い縁を感じます。


 

劇団繭 第12回公演

創作劇『ビルマの耳飾り(3幕13場) 

 

平成7年3月26(日)

利根沼田文化会館大ホール

          

原作/武者一雄

脚本・演出/倉沢新平

舞台監督/明田功二

この作品は、ビルマの少女が〝命の約束”をのせて手渡した『金色の耳飾り』を通じ、今を生きている全ての人へのメッセージがつまっています。


(当時のパンフレットに載せられた文章です。)

「倉澤君の熱い思いがー」 武者一雄

 昨年、倉澤新平さんから、拙者「ビルマの耳飾り」を劇化し上演してみたいとの意向をうかがった時、作品が異国での話と戦場という非常にむずかしい内容なので、果たして成功するかどうか、私は心の中で迷いました。けれどご本人の強い要望と、それに倉澤君は若い頃から演劇に打ち込んで勉強してきているので、それではやってみませんかと言うことになり、以来、倉澤君の活動は始められました。

 脚本制作、スタッフ募集と、練習につぐ練習、着々と準備が進められ、今日上演ということになりました。

 出来上がった三幕十三場で、どんな演劇となって表現されてるのか、私としても非常に興味深く、本日を楽しみに待っておったのです。ご努力下さった関係諸兄妹の皆様、本当にご苦労様でした。戦場で亡くなった多くの私の戦友達も、草葉のかげで大変よろこんでいてくれると思います。

「私は幸せです!」 倉澤新平

”自分のやりたい芝居がやりたい”そんな考えで始めた『繭』の活動。仲間づくりを初期の活動として、色々な芝居を手掛けたが、やはり地元にゆかりある物語が、一番喜ばれることに気付き、青年団当時に勉強した、脚本づくりを手がかりに創作劇に踏み切った。

 「あらく」三幕、「三平峠」三幕、「春駒日記」三幕、そにて今回の「ビルマの耳飾り」三幕と、題材にも恵まれ、素人の作品にしてはまずまずの作品と、人々にお褒めの言葉をいただき、これまでの人生は幸せいっぱいです。

 今回の作品は、プロの小説家の作品を素人の私が、脚本にし劇化するという、通常この世界ではありえないことを実施しようとしている。これも、武者一雄先生が寛大な心の持ち主だから出来たことで、武者先生には感謝の気持ちでいっぱいです。原作の内容の素晴らしさに、夜中の二時三時の時間帯であっても、ねむくならない程ワープロを打つ手も頭もさえて、二か月間で台本も仕上げることが出来ました。

 五十年前の戦場を、舞台に表現させるのは素人劇団の我々には、とてもむずかしいことばかりです。皆様方には、物足りないところもあるかも知れませんが、熱意に免じてお許し願いたく思います。

 「生きていることの尊さと、助け合っていくことのすばらしさ」さらに「理解し合うことの大切さ」を皆様にご理解いただけたら幸せに思います。


 

■STORY

 昭和18年10月。

ビルマ(現ミャンマー)全土を制圧した日本軍は、インド北東部の連合軍補給路の切断に乗り出した。木山曹長を班長とする分隊、福島兵長、田中上等兵、吉田上等兵、志村一等兵、亀田一等兵の6名もその作戦に加わり、ビルマ地域に宿営し本部からの進撃命令が下るのを待っていた。

 

 作戦準備のため宿営していた地域は、ヤシの木やマンゴーの木などに囲まれた平和の村った。兵隊たちは皆な子ども好きで、地域の子どもたちと仲良しになった。子どもたちも初めのうちは遠巻きに兵隊たちの様子を見ていたが、直に慣れて「ジャパンマスター、ジャパンマスター」と、傍へよって来て遊ぶようになってきた。兵隊たちは縄飛や鬼ごっこなど日本の遊びを教えながら、 地域の子どもたちと無邪気に遊んでいた。

 

 その中で、いつも中心になっていたのが気だての優しい福島兵長だった。福島は、お寺に集まってくる子どもたちに、根気よく日本の童謡をおしえた。子どもたちと兵隊たちが合唱するとき、戦争を忘れ、違った国柄や生活習慣を乗り越え歌声と共にビルマの大自然の中に一つにとけあって行った。

 

昭和19年3月

木山分隊に進撃の命令が下った。

 目指すはインド国境の町“インパール”

 

出撃の前夜、福島は子どもたちの中でも特に親しかったお姉さん格のマーチャに金色に輝く耳飾りをお守りとして贈られる。

  

 「福島マスターは決して人を殺さないで下さい、殺せば必ず自分も殺される!」

 

 福島は祈りとも思えるマーチャの言葉と耳飾りを胸ポケットにしまい、子どもたちと過ごした束の間の平和な日々を思い出に、再び生きて戻れるあてのない戦場へ出発するのだった・・・


劇団『繭』

劇団『繭』のあゆみ

http://gekidanmayu.fun/

 

■1979年(昭和54年)6月 結成

 

■同年10月27日

 第1回公演

 山本有三作『嬰児殺し』1幕

 演出 倉澤新平

 利根沼田文化会館大ホール

 

■1981年(昭和56年)2月22日

 第2回分演

 井上ひさし作ミュージカル

 『11匹のねこ』3幕

 演出 倉澤新平

 利根沼田文化会館大ホール

 

■1983年(昭和58年)9月20日

 第3回公演

 盛善吉作『あんたがたどこさ』1幕

 演出 倉澤新平

 利根沼田文化会館大ホール

 

■1984年(昭和59年)12月1日

 第4回公演

 小松幹夫作『四人患者』1幕

 演出 須藤泰人

 利根沼田文化会館小ホール

 

■1986年(昭和61年)3月2日

 第5回公演

 倉澤新平作『あらく』3幕

 演出 倉澤新平

 利根沼田文化会館大ホール

 

■1986年(昭和61年)9月

 武田鉄矢さんの『刑事物語』

  -やまびこの詩ー

 エキストラ出演 全員動員

 

■1987年(昭和62年)8月2日

 群馬県演劇祭に出演

 『嬰児殺し』上演

 

■同年 4月5日 

 群馬県水上町成人式に出演

 『嬰児殺し』上演

 

■同年 12月6日 

 第6回公演

 清水邦夫作

『ぼくらは産まれ変わった木の葉のように』

 演出 須藤康人

 利根沼田文化会館小ホール

 

■1979年(平成元年)3月12日

 第7回公演

 倉澤新平作『三平峠』3幕

 演出 倉澤新平

 利根沼田文化会館大ホール

 

■1990年(平成2年)3月18日

 第8回公演

 雑賀 監作『再開屋』1幕

 演出 林秀明

 利根沼田文化会館小ホール

 

■同年 12月2日

 第9回公演

 芳地隆介作『ゆうれい哀話』1幕

 演出 石坂千代子

 昭和村公民館ホール

 

■1992年(平成4年)3月15日

 第10回公演

 倉澤新平作『春駒日記』3幕

 演出 倉澤新平

 利根沼田文化会館大ホール

 

■1993年(平成5年)8月22日

 第11回公演

 寺山修司作『毛皮のマリー』1幕

 演出 須藤康人

 利根沼田文化会館小ホール

 

■1995年(平成7年)3月26日

 第12回公演

 倉澤新平作『ビルマの耳飾り』3幕

 演出 倉澤新平

 利根沼田文化会館大ホール

 

※平成7年3月26日『ビルマの耳飾り』公演パンフレット参照


掲載その他

平成26年3月26日(日)公演について